斎藤裕:総合格闘技RIZINの初代王者からラーメン店主への軌跡

斎藤裕

総合格闘技の世界で数々の激闘を繰り広げ、RIZINの初代フェザー級王者として名を馳せた斎藤裕(さいとう ゆたか)。

現在、彼はリングを離れ、東京・秋葉原でラーメン店「麺ZINさいとう」を経営する新たな挑戦に挑んでいます。

格闘家としての輝かしいキャリアと、ラーメン店主としてのセカンドキャリアを両立させる彼のストーリーは、多くのファンや若手格闘家にインスピレーションを与えています。

この記事では、斎藤裕の出身や生い立ちから、RIZINでの活躍、そしてラーメン店開業に至るまでの軌跡を詳しく紹介します。

総合格闘技RIZIN斎藤裕選手|出身や生い立ち、成績、キャリアそしてラーメン

出身と生い立ち:秋田県能代市から格闘技の世界へ

斎藤裕は1987年10月8日、秋田県能代市に生まれました。自然豊かなこの地域で、彼は幼少期を過ごします。

幼い頃から体を動かすことが好きだった斎藤少年は、小学校と中学校時代に野球に打ち込んでいました。

しかし、彼の人生に大きな転機が訪れたのは15歳の時。テレビで偶然目にしたK-1の試合――ボブ・サップ対アーネスト・ホースト戦――がきっかけで、格闘技に強い憧れを抱くようになりました。

さらに、ボブ・サップがバラエティ番組に出演している姿を見て、「格闘技の世界って面白い」と感じたそうです。

この興味が彼を突き動かし、レンタルビデオ店に通って格闘技のビデオを片っ端から借りるほど熱中しました。

能代工業高校に進学した斎藤は、当初レスリング部に入部しようと考えていましたが、学校にレスリング部がなかったため、伝統派空手部に所属。ここで格闘技の基礎を学び、身体能力を磨きました。

高校卒業後、すぐにでもプロ格闘家になりたいという夢を抱いていましたが、親の希望もあり一度は大学へ進学。しかし、大学在学中に我慢できず、総合格闘技の道へ進むことを決意します。

これが、後にRIZINの頂点に立つ男の第一歩でした。

斎藤の故郷・秋田県能代市は、彼のルーツとして今でも深い意味を持っています。

2024年には地元の新米「サキホコレ」の販売会に参加し、ファンと交流する姿が報じられました(参考記事)。故郷への愛着と格闘技への情熱が、彼の人生を形作ったのです。

プロデビューと修斗での飛躍

斎藤裕のプロ格闘家としてのキャリアは、2011年に修斗でスタートしました。

修斗は日本を代表する総合格闘技団体で、数多くの名選手を輩出してきた歴史ある舞台です。デビュー当初から、彼は伝統派空手をバックボーンに持つ堅実なファイトスタイルで注目を集めます。

着実に経験を積み重ね、2014年にはインフィニティリーグ・ライト級で優勝を果たし、その名を広く知られるようになりました。

2015年、斎藤は大きな飛躍を遂げます。修斗環太平洋フェザー級王座を獲得し、さらなる高みを目指す姿勢を見せました。

そして2016年、第10代修斗世界フェザー級王座を奪取。この勝利は、彼の実力と努力が結実した瞬間であり、「令和の修斗伝承者」という異名を獲得するきっかけとなりました。

修斗での戦績は安定しており、打撃とグラップリングをバランス良く組み合わせたスタイルで対戦相手を圧倒。特に、2017年の宇野薫戦での王座防衛や、2018年のジェラルド・ザンボアンガ戦での劇的なパウンドアウト勝利は、彼のキャリアにおけるハイライトとして記憶されています(Wikipedia: 斎藤裕)。

修斗での成功は、斎藤にとって国内最高峰の舞台であるRIZINへのステップとなりました。

彼の堅実かつ戦略的なファイトスタイルは、後にRIZINのリングでさらなる輝きを放つことになります。

RIZINで活躍:初代フェザー級王者への道

2020年、斎藤裕は修斗での実績を引っ提げてRIZINに参戦します。初戦となった「RIZIN.23」では、摩嶋一整をサッカーボールキックでKO勝利し、鮮烈なデビューを飾りました。

この試合で彼は、「タイミングが合えば朝倉未来と戦いたい」と発言し、早くもビッグマッチへの意欲を見せています(RIZIN公式サイト: 試合結果)。

そして同年11月、「RIZIN.25」で運命の一戦が実現します。

対戦相手は、当時絶大な人気を誇っていた朝倉未来。フェザー級タイトルマッチとして行われたこの試合は、フルラウンドにわたる激闘の末、斎藤が判定勝利を収め、RIZIN初代フェザー級王者に輝きました。

試合後のインタビューで彼は、「紙一重だった。朝倉選手は本当に強かった」と語り、勝利の喜びと共に相手への敬意を示しました(RIZIN公式サイト: 試合後インタビュー)。

この勝利は、斎藤のキャリアにおける最大の栄光であり、RIZINフェザー級の歴史に名を刻む瞬間でした。

王者となった斎藤は、その後も挑戦を続けます。2021年の「RIZIN.28」では、ヴガール・ケラモフとの死闘を制し、204日ぶりの復帰戦で見事勝利。

5年間無敗だった強敵を破ったこの試合は、彼の底力を証明するものでした。

しかし、同年10月の「RIZIN.31」で牛久絢太郎に敗れ、王座を失います。

以降も平本蓮やクレベル・コイケといった強豪と対戦し、勝敗を繰り返しながらも常に高いレベルで戦い続けました。

2024年7月の「超RIZIN.3」では、元K-1王者の久保優太と対戦。2ラウンドでKO負けを喫しましたが、彼の闘志は衰えず、試合後のコメントでは「次に繋げたい」と前向きな姿勢を見せています(試合結果)。

RIZINでの戦績は、2025年3月時点で公式記録が更新されていないため詳細は不明ですが、彼のキャリアは勝利と敗北を通じて成長し続けた軌跡と言えるでしょう。

ラーメン店「麺ZINさいとう」への挑戦

格闘技での活躍の一方で、斎藤裕は新たな夢を追い始めます。それは、ラーメン店を開業すること。

ラーメンは彼にとって「心の栄養」と呼べるほど特別な存在でした。ハードなトレーニングや厳しい減量の日々の中で、オフにラーメンを食べ歩くことが唯一の楽しみだったそうです。

2年ほど前からは自身のYouTubeチャンネルでラーメン店巡りや1日店長体験を公開し、ファンからも「斎藤といえばラーメン」と親しまれるようになりました。

本気のラーメン開発

この情熱が実を結び、2024年12月、斎藤は東京・秋葉原に「麺ZINさいとう」をプレオープンします。

構想2年、試作300杯を経て完成した看板メニュー「和牛白湯タンメン」は、日本が誇る和牛を使ったスープが特徴。

海外滞在中に日本食の素晴らしさに気付いた彼が、和牛の旨味を引き出した一杯を作りたいと考えた結果です。

店舗の場所は秋葉原駅から徒歩1分という好立地で、2025年1月23日にグランドオープンを迎えました。

初日には長蛇の列ができ、格闘技ファンだけでなくラーメン愛好家からも注目を集めています(イーファイト記事)。

開業にあたり、斎藤はクラウドファンディングを活用。Makuakeで開始したプロジェクトは、わずか2時間で目標金額200万円を達成し、最終的に950万円超を調達する大成功を収めました(Makuakeプロジェクトページ)。

リターンには、彼が着用したRIZIN.45のファイトショーツやラーメン無料券が含まれ、ファンからの熱い支持が伺えます。

なぜラーメン屋を?セカンドキャリアと未来への思い

斎藤がラーメン店を開業した理由は、単なる趣味を超えた深い思いにあります。

彼は「格闘家のセカンドキャリア構築を体現したい」と語ります。プロ格闘家としての寿命は短く、引退後の生活に不安を抱える選手も少なくありません。

斎藤は自ら行動することで、後進に道を示したいと考えました。また、「プロを目指す若者を応援したい」という願いも込められており、いずれは格闘家を目指す若手が働ける場を提供する構想もあるそうです(ゴング格闘技インタビュー)。

さらに、秋葉原というラーメン激戦区で「和牛白湯」という独自の味で勝負する姿勢は、彼の格闘家精神そのもの。

「風穴を開ける」と意気込む斎藤は、リング上と同じく挑戦者として新たな戦場に挑んでいます。

朝倉未来とのコラボ動画では、未来が「マジで美味い」と絶賛し、二人の絆も垣間見えました

朝倉未来との奇跡の対談

現在の斎藤裕:格闘技とラーメン、二つの顔

2025年3月現在、斎藤裕は「麺ZINさいとう」の店主として多忙な日々を送っています。グランドオープン後も連日行列が絶えず、格闘技ファンやラーメン好きから高い評価を受けています。

一方で、格闘家としての活動については明確な進退表明はありません。2024年の久保戦後、「次に繋げたい」と語った彼が、再びリングに戻る可能性もゼロではないでしょう。

斎藤裕のストーリーは、夢を追い続ける姿勢と新たな挑戦への勇気を教えてくれます。

秋田の少年が格闘技の頂点を極め、今度はラーメンで人々を笑顔にする――

その軌跡は、まさに「令和の修斗伝承者」から「ラーメン界の挑戦者」への進化と言えるでしょう。今後も彼の活躍から目が離せません。

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