榊原信行とは?――格闘技界の風雲児

榊原信行

榊原信行(さかきばら のぶゆき)は、日本の総合格闘技イベント「PRIDE」と「RIZIN」を手掛けたプロモーターであり、日本の格闘技界に多大な影響を与えた人物だ。

PRIDE時代は一大格闘技ブームを巻き起こし、世界的なブランドへと成長させたが、その後のスキャンダルでPRIDEは崩壊。しかし、彼は再びRIZINを立ち上げ、日本の総合格闘技の復活に尽力することになる。

本記事では、榊原信行のキャリアを時系列で振り返りながら、成功と失敗、そして裏話を交えつつ紹介していこう。

榊原信行のキャリア「成功と失敗、そして裏話」


PRIDE以前――テレビマンから格闘技の世界へ

榊原信行は1963年に愛知県で生まれた。大学卒業後、建設業や広告代理店を経て、1990年代にはCS放送局「サムライTV」の立ち上げに関与。この頃から格闘技のプロモーションに携わるようになった。

1997年、プロレスラーのアントニオ猪木と関係を持ち、猪木が関わる「UFO」や「異種格闘技戦」などを支援。ここで培った経験が、後のPRIDE運営につながっていく。

また、当時の総合格闘技界は、UFCがまだ発展途上であり、日本では「K-1」が立ち技格闘技で人気を集めていた。そんな中、「PRIDE」という新たな総合格闘技イベントが誕生することになる。


PRIDEの栄光と凋落

1997年、PRIDEの第1回大会が東京ドームで開催。

旗揚げ戦の目玉は、プロレスラーの高田延彦と総合格闘技界のレジェンド、ヒクソン・グレイシーの対決だった。この試合は大きな話題を呼び、PRIDEは一気に注目を集めることとなる。

その後、榊原はPRIDEをテレビ放送向けに演出し、派手な煽りVTRやドラマティックなマッチメイクを導入。これが功を奏し、PRIDEは日本の総合格闘技を象徴するイベントへと成長する。

ヒョードル、ノゲイラ、ミルコ・クロコップ、ヴァンダレイ・シウバといった海外の強豪選手が次々と参戦し、世界最強を決める舞台となった。

しかし、絶頂期のPRIDEに、ある大きな問題が忍び寄っていた。

2006年6月、PRIDEを放送していたフジテレビが突然、契約を打ち切ることを発表。

これは、PRIDEの運営会社「ドリームステージエンターテインメント(DSE)」と暴力団との関係が報道されたことが原因だった。

このスキャンダルにより、スポンサーも次々と撤退し、PRIDEの経営は急激に悪化。榊原自身も経営責任を取る形で表舞台から姿を消すことになる。

2007年、PRIDEはアメリカのUFC運営会社「ズッファ」に売却され、完全消滅。

かつて世界最強を誇った日本の総合格闘技ブランドは、こうして幕を閉じた。


再起への道――RIZIN誕生

PRIDE消滅後、榊原は表立った活動を控えていたが、2015年、突如として新たな格闘技イベント「RIZIN」を立ち上げる。

PRIDEと同様の演出や世界レベルの選手を集め、かつてのファンの心をつかもうとした。旗揚げ戦では、エメリヤーエンコ・ヒョードルの復帰戦が行われ、話題を呼ぶ。

さらに、那須川天心、朝倉未来、堀口恭司といった新世代のスター選手を発掘し、若い世代のファンを取り込むことにも成功した。

しかし、PRIDE時代と比べるとテレビ放送の影響力が低下しており、収益モデルの構築に苦戦。地上波放送が途切れたこともあり、ビジネス面では厳しい状況が続いた。


失敗談・裏話

「PRIDEは世界最強」を信じすぎた?

榊原はPRIDE時代、UFCよりもPRIDEの方が強豪選手を集めていると自信を持っていた。

しかし、PRIDE崩壊後、PRIDEのトップ選手たちがUFCに移籍し、思うように勝てなかったことから「PRIDEは幻想だったのか?」という声も上がった。

特にミルコ・クロコップやヴァンダレイ・シウバがUFCで連敗したことは、榊原にとってもショックだったと言われている。

地上波撤退の痛手

RIZINはPRIDE時代ほどの資金力がなく、テレビ放送が収益の大部分を占めていた。

ところが、2022年にはフジテレビとの契約が打ち切られ、地上波での放送が消滅。

榊原は「PPVやネット配信でやっていく」と宣言したが、地上波放送の影響力を痛感していたのは間違いない。

メイウェザー戦の裏側

RIZINではボクシング界のスーパースター、フロイド・メイウェザーと那須川天心のエキシビションマッチを実現させた。

しかし、この試合はメイウェザー側の契約条件が非常に厳しく、榊原は「試合を組むのは地獄だった」と後に語っている。

また、試合はメイウェザーの圧勝で終わり、那須川のファンからは「やるべきではなかったのでは?」という意見も出た。


榊原信行の現在とこれから

榊原は現在もRIZINの代表として活動を続けているが、近年は海外団体との競争が激化し、ビジネスモデルの見直しを迫られている。

また、日本の格闘技界を盛り上げるため、他団体との協力や新しいメディア戦略にも取り組んでいる。

「日本の総合格闘技を世界に広める」という榊原の夢は、まだ終わっていない。

今後の彼の動向に、引き続き注目していきたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました